なんちゃってキャバ嬢(卒業)

徒然なるままに、アングラ・性にむかひて。キャバは卒業しました

小山氏イラストを通して「常識」について思う

夏季休暇は読書週間です。
今年はなんとなくフェミニズムの本を読み漁っています。

ということで、ちょっといつもとは違う話を。

最近思うんだけど、議論する際にはお互いの知識水準を確認してから始めることが大切ですね。
じゃないと、本質ではない余計な諍いが生まれる。

8月6日、小田急線で女性が刺された事件が起きました。
そして、この事件を題材にした(と思われる)イラストを漫画化の小山健氏がTwitterに掲載しました。

小山氏のイラストには批判が集まりました。
そして、その批判に対する批判もありました。

どちらの立場の批判も過激なものがかなりあって、それは議論するに値しないんですが、意外と小山氏のイラストが批判されている理由がマジでわからないって人たちがいたんですよね。

(男性の方がコメントとしては多かった感触だけど、男女問わず)

で、私も最初はゲンナリしたんですが。

よく考えてみればそれなりに人権や女性嫌悪にまつわる情報に興味がないと、一部の層が過剰に騒いでいると感じてしまうのも、まあ十分ありうるなと思い直したんです。

このイラストは、男性に今まさに刺されそうになっている女性がいて、女性とその父親の幼少期の思い出があり、父親が泣きながら娘が刺されることを抑止しようとしている。

ぱっと見、良さげなイラストでして、前提知識がないとなかなかこのイラストの問題点ってわかりづらい。

少し前まで、例えばセクハラについて男性に考えさせる際「上司の娘にも同じことができるかどうか」という言葉があったんですよね。

上司という権威に紐づく女性にできないことは、他の女性にもするな、と。

これって、“権威ある誰かの”(※)という枕詞がどうしても先行している。

女性自身に対してアウトだから、ではなくて女性自身の親(=上司)に対してアウトだから、って考え方になっちゃってる。
今は例えがイケてないよねってことで、あまり使用されなくなってるかと思いますが。

これを踏まえると、歴史的に”権威”と紐付きやすい”父親”の娘というイラストの表現がいささか問題があると認識されるのも少しはご理解いただけるのではなかろうか。

ちなみにイラストに描かれていたのが父親ではなく母親でも難癖付けるのかと言われそうですが、その場合異なる論点が出てくるので割愛します。描かれていたのは父親なので・・・

ただ一方で、これを戦争や人種差別の歴史・タブーと同様に「知らなかったでは済まされない」とまで作者に対して言えるかというと、そこまでじゃないだろうなとも思った(思い直した)。

残念ながら、このあたりの分野が「知らなかったでは済まされない」領域として認識されるにはあと20年は必要な気がする。

ということで前段に戻りますが、お互いの知識水準を確認してから議論を始めたいなと思った次第でした。

まあ実際、Twitterという場では「こういう問題点があること知ってました?」と投稿主に聞いたところで返事が返ってこないことの方が多いだろうから、一方的にまずは主張しちゃうのももちろんわかるんだけども。

本当にどこまでが世間の常識で、どこまでが自分だけの常識なのか、ちゃんと考える習慣をつけなきゃねと言い聞かせている。

ではまた!

(※)”権威ある誰かの”を除く議論も今回ありました。⑴「みんな誰かの大切な人だから危害を加えてはいけない」に対して⑴「誰かの大切な人でなければ危害を加えていいのか。一人の人間として尊重されるべきである」という意見があり、さらに(2)「みんな誰かの大切な人だから危害を加えてはいけない」と主張したからと言って「誰かの大切な人じゃなければ危害を加えても良い」とはならないという意見もありました。

文面だけだと(2)が正しい、(1)は裏返して読みすぎ、と私も思っちゃったりするんだけど、ここにも歴史や前提や経緯が色々あると考えられるので、改めて勉強しようと思った次第です。